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東京地方裁判所 昭和29年(モ)13760号 判決 1956年10月19日

債権者 黄安心 外三名

債務者 李光顕

主文

当裁判所が、昭和二十九年(ヨ)第六、七九九号不動産仮処分申請事件について、同年八月十九日した、仮処分決定は、取り消す。

本件仮処分申請は、却下する。

訴訟費用は、債権者等の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に、執行することができる。

事実

第一債権者等の主張

(申立)

債権者等訴訟代理人は、主文第一項掲記の仮処分決定を認可するとの判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。

(理由)

(一)  債権者等は、いずれも、昭和二十八年七月十五日から現在まで、引き続き、オーシヤン貿易株式会社の株主であり、債務者は、昭和二十九年六月十五日から同年八月十一日までの間、右会社の代表取締役であつた。

(二)  オーシヤン貿易株式会社は、昭和二十九年七月二十八日、別紙日録<省略>掲記の建物(以下本件建物という。)を、岩田金之助から、代金百七十万円で買いうけ、同日、代金全額を岩田に支払つた。債務者は、会社代表取締役の資格において、岩田と折衝し右売買契約をしたのであるが、債務者は、その立場を利用して右の建物を自己の個人名義に移転登記をしてしまつた。

このようにして、本件建物の所有者は、本来オーシヤン貿易株式会社であるにかかわらず、登記簿には、その所有権が、岩田から債務者に移転した旨の記載がされている。よつて、会社は、所有権に基いて、債務者に対し、右の移転登記の抹消を求めうるものである。

(三)  債権者等は、前述のように、六カ月以前から引き続き、右会社の株式を有する株主であるから、商法第二百六十七条の規定により、債務者が、前項掲記のように、その個人名義に移転登記をした責任を追求するため、債務者に右の登記抹消を求める訴の提起を会社に対して請求することができる。そして、会社が、右の請求があつてから三十日以内に、訴を提記しないときは、債権者等は、右の訴を債務者に対して提起しうることとなるのであるが、債務者は、本件建物が登記簿上、自己の所有名義になつているのを利用して他に売却しようと策動しているので、右の期間経過を待つていては、会社にとつて回復できない損害を生ずる虞がある。よつて、債権者等は、同条第三項により、右の手続を経ないで、債務者に対し、会社のため、前記移転登記の抹消を求めうるものである。

(四)  よつて、債権者等は、右の権利に基いて、債務者に対し、本案訴訟の提起を準備中であるが、債務者は、前記のように、右建物を他に売却し登記簿上の所有名義を他に移転しようとしているので、債権者等は、右の登記抹消請求権を保全するため、東京地方裁判所に、いわゆる処分禁止の仮処分を申請したところ、同裁判所は、主文第一項掲記の仮処分決定をした。右の決定は、相当であり、いまなお、維持する必要があるので、これが認可を求める。

第二債務者の主張

(申立)

債務者訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。

(理由)

(一)  債権者等は、商法第二百六十七条の規定により、会社の債務者に対する登記抹消請求権を会社に代位して行使しうると主張しているが、同条は民法第四百二十三条と異り、右債権者等の主張するような代位訴権を認めた規定ではないから、右商法の規定を論拠とする債権者等の被保全権利に関する主張は、主張自体理由がない。

(二)  仮に、さうでないとしても、債務者は、債権者等の主張事実のうち、本件建物の登記簿上の所有名義が債務者となつていること及び債権者黄安心がオーシヤン貿易株式会社の株主であり、債務者が、昭和二十九年六月十五日、右会社の代表取締役に就任したことは、いずれも認めるが、その余の事実は争うものである。

債務者は、個人の資格において、(債務者がオーシヤン貿易株式会社代表取締役としての資格においてではなく)昭和二十九年七月二十八日、本件建物を岩田金之助から、代金百七十万円で買いうけ、代金全額を岩田に支払つて、自己の名義に移転登記をしたものであり、本件建物の所有者は債務者個人であるこのようにオーシヤン貿易株式会社は右建物の所有するではないのであるから、このことを前提とする債権者等の被保全権利に関する主張は、すでに、この点において失当である。よつて、主文第一項掲記仮処分決定の取消を求める。

第三疎明関係<省略>

理由

一、債権者等の本件仮処分申請における被保全権利が、商法第二百六十七条の規定に基くものであることは、債権者等の主張に徴し明らかなところ、同条に規定された株主の取締役に対する代表訴訟提起権は、個々の株主が、みずから会社のために、取締役の会社に対する責任を追及する訴を提起できる権利で、ここにいうところの責任は、取締役が法令又は定款に違反する行為をしたときの会社に対する損害賠償責任と、会社に対する資本充実の責任とを意味するものと解するのが相当である。したがつて、取締役の地位にある債務者が、会社に対し背任行為をし、これによつて債務者が会社に損害を与えたことを理由として、債権者等が、会社のため、債務者の会社に対する損害賠償の責任を追及するのであれば格別、債権者等主張のような、会社の債務者に対する登記抹消請求権を会社に代位して行使することは、前記代表訴訟の認められる範囲をこえるものとして許されないものと解するのが相当である。

二、したがつて、右の見解を異にする債権者等の本件仮処分における被保全権利に関する主張は、主張自体において失当であり、到底当裁判所の容認し難いところであるのみならず、百歩を譲り、債権者等の、この点に関する主張を容認する余地が仮にあるとしても、実体関係においても、債権者等は、その主張するような被保全権利を有するものと見ることはできない。すなわち、その実体関係について考察するに、成立に争いのない甲第十号証の一、二、同第十一号証の一から三、証人辻三郎、同宇佐美信吾及び同岩瀬晴保の各証言並びに債権者黄安心本人尋問の結果中には、「債務者が昭和二十九年七月二十八日、オーシヤン貿易株式会社の代表取締役の資格において、岩田金之助から本件建物を買いうけ、会社において王敬丞から借りうけた金百万円及びその他の会社資産から、右の代金を支払つた」旨供述又は記載があるが、右供述又は記載部分は、後記各証拠と対比し、にわかに措信し難く、他に、債権者等の主張するように、オーシヤン貿易株式会社が、岩田から、本件建物を買いうけたことを推認するに足る疎明はない。

しかも、かえつて、証人立石節夫同奏孝一の各証言及び債務者本人尋問の結果、並びにこれによりその成立を認めうる乙第五号証から第八号証同第十三第十四号証同第十六号証の一、二、同第二十二号証、甲第十六号証、成立に争いのない甲第十号証の一、二、同第十一号証の一から三、乙第十五号証によれば、次の諸事実を、一応肯認することができる。すなわち、

(イ)  債務者(その資格が、オーシヤン貿易株式会社代表取締役であるか、個人であるかは、しばらくおく。)は、昭和二十九年七月二十八日、岩田金之助の代理人岩田敏夫から、本件建物を、代金百五十万円で買いうけ、同時に、敷地所有者に対する岩田の延滞地代合計金二十万円を支払うことを約し、ついで同日、右建物の一階を敷金金二百七十万円、権利金三十万円合計金三百万円の交付をうけることを条件として、日本ナシヨナル金銭登録機株式会社に賃貸し、右敷金等の一部を、前記の売買代金等の支払にあてることにしたところ、右会社は、これよりさき岩田金之助の代理人と称する吉田長四郎から、右の建物部分を借りうける約束をし、その敷金の内金として、五十万円を、すでに吉田に交付していたが、種々の紛争が生じてその引渡をうけることができない状態にあつた関係上、債務者に対し前記の三百万円からこの五十万円を控除してほしいと申し出たので、債務者はこれを承諾したこと。

(ロ)  このような事情で、債務者は、日本ナシヨナル金銭登録機株式会社の代理人奏孝一から、同日、右の差額である二百五十万円の交付をうけることになつたので、この一部をもつて、岩田に対する前記の代金等百七十万円を支払うことにしたが、右代金等は、本件建物の移転登記をすると同時に、登記所で岩田金之助の代理人岩田敏夫に渡す約束になつていたので、債務者は、岩田の代理人古長弁護士及び奏孝一と相談のうえ、債務者が後記(ヘ)のような経緯で開設した千葉銀行秋葉原支店のオーシヤン貿易株式会社名義の当座予金口座を利用し、現金を同銀行振出の小切手と交換して、登記所に持参することとしたこと。

(ハ)  そこで債務者は、奏孝一、古長弁護士、債権者黄安心等とともに、千葉銀行秋葉原支店に赴き、同所で奏から二百五十万円の交付をうけると同時に、一旦これをオーシヤン貿易株式会社名義の前記口座に入れ、これを引当てに(この口座には、会社が、王敬丞より貸与をうけたと推認される百万円の入金が、同年七月十三日付でされているが、前記二百五十万円を入金する直前の残高は、十万二千九百円となつているので、実質上、この二百五十万円を引当にしたものと見ることができる。)、債務者が会社代表取締役名義で振り出した額面百五十万円と二十万円の小切手各一通と引換に、千葉銀行秋葉原支店長石井金吾振出額面前記と同一である小切手各一通の交付をうけ、債務者等は、これを持参して、東京法務局新宿出張所に行き、司法書士立石節夫に、本件建物の移転登記手続を依頼し、その完了と同時に、銀行振出の前記小切手二通を岩田敏夫に交付して、代金等の支払としたこと。

(ニ)  債務者は、これより前の昭和二十七年十月末頃、岩田金之助の代理人と称する吉田長四郎との間で、本件建物の売買予約をし、これが登記をしたが、吉田の代理権の有無をめぐつて、岩田と債務者間に紛争を生じ、それが解決されないままに、前記売買予約の仮登記も、そのままとなつていたので(本件の売買契約は、右の予約を完結したものであるとの債務者本人の供述は、他の疎明と対比すると信用できない。)、右の仮登記を抹消することなくこれを本登記に直した形式をとつて、所有権移転登記がされたこと。

(ホ)  債権者黄安心は、右移転登記申請手続が、司法書士立石節夫方でされた際、終始、債務者等と同席しており、同司法書士が、本件建物の買受人が債務者であることを確認するための発言をしたときにも、同債権者は、何等異議を申し立てなかつたこと。

(ヘ)  債務者は、もと、伊藤商会という名で、銅鉄商を営んでいたが、昭和二十九年六月頃、知人である債権者黄安心から、同人が代表取締役をしているオーシヤン貿易株式会社を、自分に代つて経営して貰いたいとの申出をうけ右会社が、同年六月二十日までに負担した債務については、黄においてその責に任ずることを確約したうえ、これを承諾し、同月十五日、右会社の代表取締役に就任したが、当時、会社には取引口座もなく、また、ほとんど活動もしていなかつたので、債務者は、取りあえず、会社のために、百万円余を出資して、千葉銀行秋葉原支店に、会社名義の当座予金口座を開設したこと。

(ト)  しかし、本件建物の売買契約の後、間もなく、債務者と債権者黄との間に紛争が生じた結果、会社の商業登記簿には、債務者が、同年八月十一日、代表取締役の地位を退き、同月二十四日、債権者黄が、代表取締役に就任した旨の登記がされるに至つたことが、一応、肯認される。

以上の諸事実に、本件建物の昭和二十九年七月二十六日付仮売買契約書の買主の表示が債務者個人となつていることを綜合して考えると、債務者は、オーシヤン貿易株式会社の代表取締役の資格においてではなく、個人の資格において、本件建物を、岩田より買いうけその代金を支払つたものと、推認することができる。

以上説示のとおり、右建物の所有権を取得したのは、むしろ、債務者個人というべく、オーシヤン貿易株式会社であつたとは認められないのであるから、債権者等は、本件建物について、その主張するような被保全権利(登記抹消請求権)を有することについて結局、疎明がないことゝなるのであるが、もとより、保証をもつて、これに代えることも相当とは認められないので、債権者等の本件仮処分申請は、進んで、他の点について判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。よつてこれを認容してした主文第一項掲記の仮処分決定は取り消し、本件仮処分申請は却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を、それぞれ適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 三宅正雄 栗山忍 宮田静江)

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